おはようございます
山下史仍です
人間関係って難しいですよね。
私も、人間関係によって、色んな感情を経験してきました。
いいことばかりで無く、腹が立つこともあれば、
悲しみ、苦しみ、怒り、
その度に、自分を爆発させたり、
逃避行動に走ったり、
衝動的になってしまったり、
太刀打つ気力もなくなったり、
特に、「恋愛・結婚」については、
尚のこと、建設的というよりは、
感情・その時任せ…という人も多いのではないでしょうか?
ラブラブの時や片思いで好きな時は、
相手から、必要とされていなくても、
「自分がその人の為にしてあげたい。」
純粋にその想いで、自分を表現します。
ですから、本来「愛情」は奉仕的なもの、と言えます。
しかし、それが…
例えば、
パートナーの裏切りになった時、
相手に対する怒り、
信じていた情けなさ、
不信感は募り、
絶望感…
一度は愛し合ったもの同志、
パートナーが招いたことなのに、自分にさえも非があったような、
絶望感の淵に立たされます。
そして、きっと誰もが
「憎しみ」
という感情に気がつくことでしょう。
問題はその「憎しみ」をどうするか?
「憎しみ」は、本来「愛情」から派生しています。
でも、「愛情の表現」であれば、それはあなたをワクワクさせ、
自尊心をプラスに働かせますが、
「憎しみの感情」を
例えば…
「解るまで苦しめてやる!」
「今度こそ、土下座させてやる!」
「二度とやらないように、誓約書かかせてやる!」
と表現し続けると…憎しみが憎しみをよび…
「執着」になり…
結果…あなた自身の「自尊心」が破壊します。
「あなたの」自尊心がですよ?
不思議ですよね?
悪いことしたのは相手であるのに、
悩み苦しむあなたの「自尊心」が破壊するのです。
自尊心とは、
「自分の人格を大切にする気持ちだったり、自分の品位を保とうとすること」
と、コトバンクには載っています。
「愛情」と「執着」
似てはいますが、
全く別物です。
人への執着が、
自分の感情・行動を
「相手が悪いから…」
という動機によって、
制裁を過度に加えたり、
執着から離れられないでいると
結果、
自分の自尊心さえも崩していくのです。
そして、制裁したからと言って、
愛情が満たされることはありません。
残るのは、「憎しみの残骸」です。
「パートナーもそばにいない。」
「なんてことをしたんだ…」
「なんでこんなことになってしまったんだろう。」
「自分さえも信じれない…」
だったら…
自分の未来のために…
「執着」は手放しませんか?
本来「愛」に条件はありません。
「愛」は奉仕です。
「過去に差し上げた愛」も、また奉仕なのです。
「執着」は、人生の目的ではありません。
しかし、自分が「執着」にこだわるのなら、
そこで人生の目的を踏み違えることもあります。
余計な人生のエネルギーを使わないためにも、
こだわっているところが「執着」であるのなら、
喜んでそれを捨てませんか?
大丈夫です。
「捨てる」と、
また別のことが「入ります」
それは、あなたの心の安らぎ‥かも
自分の時間かも、
没頭できる何かかもしれません。
「状況を変える」ことより前に、
自分の感情を…自分自身のために水に流してあげましょう。
…流せないなら、「憎しみ」を生む環境とは距離をおきましょう。
自分を「開放」してあげる時間が必要です。
自分自身のためであれば、
何とか工夫できそう…ではないですか?
あなたの執着を…
嫌な感情を…受け止められるだけの空は広がっていますよ。
今日もご覧いただきありがとうございました。
皆さまの一日が素敵なものになりますように・・・
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